広末涼子さんといえば、結婚をへてママになり、現在も第一線で活躍してる人気女優さんですが、若い頃、社会現象を巻き起こしたことを知らない世代のかたも多いのではないでしょうか。
やはりブレイクするきかっけとなったのは、1997年に放送されたドラマ「ビーチボーイズ」でのヒロイン役でしょうね。誰もが惚れたはずです。
そこから大ブレイクを果たし、その後も多くのドラマやCMに出演、じつは1999年に歌手として紅白歌合戦にも出場したこともあるんです。
ということで、この記事では広末涼子さんの若い頃(デビュー当時)からヒロスエブームまでの軌跡をまとめていきます。
広末涼子の幼少期のあだ名は「歩くテレビ欄」!10歳の頃に芸能界で活躍するビジョンを見ていた!?
広末涼子の卒アルかわいすぎ! pic.twitter.com/9twhML3suP
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広末涼子さんは、高知県高知市で生まれ育ちました。子供の頃からテレビが大好きで、特にドラマに夢中に。地元では放送されていないドラマは、首都圏に住む親戚に録画して送ってもらっていたほどテレビっ子。
当時のあだ名は「歩くテレビ欄」。幼少期のころから「芸能界に入りたい」と家族や周りに話してたそうです。
10歳の頃には、
『20年後の自分から今の自分へ』と題して手紙を書く授業で〈いま女優をしていて、あなたの頃で言う宮沢りえさんより年上、浅野温子さんより若いぐらい。資生堂のCMをやっている〉と書いたそうです。引用元:読売新聞オンライン
デビューのきっかけはCMのオーディション
広末涼子さんが芸能界に入るきっかけとなったのは、1994年に雑誌で見つけたCMオーディション。
当時中学2年生(14)だった広末涼子さんは、第1回クレアラシル「ぴかぴかフェイスコンテスト」に応募し、これが見事にグランプリ受賞。
デビュー当時くらいの広末涼子 pic.twitter.com/FUWQEFvE0w
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このオーディションでスカウトされた事を機に、翌年の1995年にクレアラシルのCMで芸能界デビューしました。
広末涼子さん
平成7年 P&G 「クレアラシル」CM pic.twitter.com/NQhgkGj1Vo— 美女びじょJapan (@bijyobijyojapan) November 2, 2019
このCMで一躍ときの人となり、同年6月にドラマ「ハートにS」で女優としてもデビューを果たします。
そして、翌年の1996年に「NTTドコモポケベル」のCMに出演し、一気にスターダムに上り詰めました。
デビューからスターになるまで本当に早かった。
当時の若い世代の人で、広末涼子の名前知らないって人いなかったのでは?大げさではなく、そのくらい社会現象になってました。今の女優さんで例えると「広瀬すず」さんが近いかなと思います。
また、広末さんのボーイッシュな感じの髪型「ヒロスエショート」もめちゃめちゃ流行ってましたね。
「MajiでKoiする5秒前」で歌手デビュー!セカンドシングル「大スキ」で紅白出場も!
そして、1997年4月15日には歌手デビュー。デビュー曲のタイトルは「MajiでKoiする5秒前」。プロデュースは竹内まりや。
令和にこのタイトルを見ると「ヤバっ!」「ダサっ!」などの声が聞こえてきそうですが、当時はMajiで広末涼子さんにKoiする5秒前の人めちゃくちゃ多かったはず。というか、とっくの前からkoiしちゃってるんですけどね世の男性しょくんは。
でもその人気を裏付けるべく、オリコンチャートでは最高位2位を記録し、売上枚数トータル約60万枚の売上を達成しました 。
続けざまに同年6月25日には、岡本真夜さんプロデュースのセカンドシングル「大スキ」を発売。
セカンドシングルでオリコンチャート初の1位、約48万枚の売上を達成しました。
これらのヒットにより『第48回NHK紅白歌合戦』に初出場し「大スキ!」を披露。女性アイドル歌手がデビュー年に紅白に出場したのは1980年の松田聖子・岩崎良美以来17年ぶりだったそうです。
その後も5枚ほどCDを出してるのですが、2000年11月に出した「果実」(売上枚数約3万枚)を最後にCDは発売されてません。
ドラマ「ビーチボーイズ」で不動の人気に!
てかビーチボーイズは広末涼子の可愛さより、竹野内豊と反町隆史のかっこよさが異次元すぎてやべえな pic.twitter.com/oIeJGuGyCW
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1997年の7月には、月9枠のドラマ『ビーチボーイズ』(フジテレビ)でヒロイン・真琴役を演じ、ここで広末涼子の不動の人気を確率させました。
このドラマは、海辺の民宿で暮らす若者たちの友情と恋愛を描いた作品で、平均視聴率23.7%、最高視聴率26.5%を記録して大ヒットしました。
広末涼子さんは真琴の透明感を見事に表現し、反町隆史さん演じる広海や竹野内豊さん演じる海都との三角関係も注目されました。
個人的にはビーチボーイズより、98年に放送されたドラマ「聖者の行進」が大好きですね。
広末涼子の長男もう19歳なんだね。
聖者の行進の頃の年齢超えてる。#聖者の行進 #いしだ壱成 pic.twitter.com/sVqaMwD6E4— toto (@oYRBLvMTtTSdSFx) June 12, 2023
このドラマでは髪を赤毛にし不良役を演じたことで、今までの広末涼子のイメージが凄く変わった思い出があります。
早稲田大学に入学!ヒロスエ効果で受験者数増加!
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「ビーチ・ボーイズ」出演の翌年の1998年11月には、早稲田大学教育学部国語国文学科に自己推薦入試で合格しました。
また凄かったのが、広末さんの早稲田入学前からこの早稲田に進学する情報が漏れてしまい、そのため広末さんと同じ学校に入りたい人続出したそうで、志願者が激増(女子が309人、男子が2785人)したそうです。ヒロスエ効果恐るべし。
入学式には安全策として入学式には出席せず、初登校したのは入学式から3か月後でした。
その日には取材陣や学生や野次馬が大勢集まり、3000人越の大群衆となり、もみくちゃ状態でした。
今じゃこういう風景って絶対に無理ですが、当時は普通にニュースで放送されてましたからね。合格した早稲田大学で囲み取材では、純情じゃないほどの報道陣とファンの数で、その人気の様子が伺えますよね。
しかし、2003年10月に「女優業に専念したい」という理由で大学を退学しました。
ただ、大学を退学を発表した2ヶ月後に、かねてから噂があった岡沢高宏さん(一番最初の旦那)との結婚&できちゃった婚が発覚し、広末ブームはここで落ち着いたかなと思います。
結婚はファンにとってかなりのダメージを受けました。しかもそれができちゃった婚ですからね。
まとめ!「ヒロスエブームは終わったけど女優としての人気は変わらず今も健在!」
以上、広末涼子さんのデビューからヒロスエブーム到来までの軌跡をまとめました。
30代、40代になっても美貌は変わらずで、むしろ歳を重ねるたびにより可愛くなり、年齢とともに同性からの支持も多く集まりファン層もグッと変わったのではないでしょうか。
今は私生活の部分で大変な時期ですが、これからもきっと女優「広末涼子」として表舞台で活躍されることでしょう。